第2回「科学技術史と科学者論」講義レポート(2022/9/22)

科学技術史と科学者論~人類と学問の歴史~(第2回:近代科学と戦争と科学者

御祓川大学では、9月22日(木)に第2回「科学技術史と科学者論」を開催しました!

普段は台湾にいらっしゃる講師の高橋先生が、七尾に来られたため、
対面とオンラインのハイブリットの講義となりました!

第2回講義では、科学の職業化から、戦争と科学の関係までを学びました。

「科学者」を「科学を行うことにより生計を維持する者」と考えると、17世紀半ばまでは科学者は存在しませんでした。
その中、フランス革命により、共和制が成立すると、周りの国は干渉戦争を行いました。
これに対応するために技術者が必要になり、いわば技術者の戦争の動員のために、科学の職業化が行われました。

18世紀後半の産業革命により、科学と技術、その他学問分野が飛躍的に発展を迎えました。
19世紀に入ると「第二次科学革命」が勃発し「科学者」という職業が生まれました。
「職業としての科学」が成立し始めたということです。

また、戦争と科学も切っても切れない関係にあります。
第一次世界大戦、最中、ドイツ軍が初めて塩素ガスを戦争に使用したとされています。
これが化学兵器のはじまりです。
戦時の新しい攻撃手段として空軍が考え出され、航空技術の発展、実用化も進みました。
第一次世界大戦と第二次世界大戦は、それまでの戦争とは異なり、科学技術を戦争に大きく動員した戦争であったと指摘されています。

1929年に始まった世界大恐慌により、各国は植民地の獲得、資源の奪取の必要性を痛感し、国家による軍事技術の開発への資金投下が大きくなされるようになった。これにより莫大な研究費を得た科学はこの後、しばらく軍需生産とともに発展していくことになります。
科学の軍需生産への動員の中で最も大きなものはアメリカのマンハッタン計画による原子爆弾の製造が挙げられます。

環境と科学について考えると、冷戦下での科学技術の発展が、今度は環境問題を引き起こすことになりました。冷戦という体制の中で、各国は科学技術の発展による弊害としての公害を隠ぺいするようになりました。
1970年代には酸性雨、地球温暖化など科学により人間が苦しむことが多く報じられるようになりました。
20世紀後半になると、科学技術、科学研究は科学者にも相応の社会的、倫理的責任があるものと考えられるようになりました。

議論の部分では、科学技術とどう向き合っていくべきかをメインに議論を行いました。

     
     

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